人類の歴史や文化と深く関わるアルコール飲料であるビールは,エールタイプのビールを含む上面発酵により作られるものと,ラガータイプのビールに代表される下面発酵によるものの大きく二つに分けられる.上面発酵ビールの醸造にはSaccharomyces cerevisiaeが,下面発酵ビールの醸造にはラガービール酵母Saccharomyces pastorianusが用いられている.
S. pastorianusは醸造環境のみから見出されている酵母である.そしてS. pastorianusの最も大きな特徴は,S. cerevisiaeとSaccharomyces eubayanus由来の染色体からなる異質倍数体(一応基本は4n)であることである.さらに醸造に適した株の長い選抜の過程で,各染色体が欠失や転座などの複雑な染色体の構造の変化を起こし,その結果現在のビールの生産には,様々な異なる染色体構造を持つ細胞のmixtureが用いられている.この選抜の過程には,低温,圧力,栄養条件,飢餓などの複雑なストレスが関与していると考えられている.またビールの生産の過程で,酵母を複数回使う(re-pitching)過程における比較的短期間のストレスや環境の変化によっても,染色体の構造やそれに起因する醸造特性の変化が引き起こされることが良く知られており,安定したビールの生産のためにその機構を解決することは重要である.
本社会連携研究部門では,染色体の異質倍数性に由来するS. pastorianusの特性を,主にストレス応答との関連性との観点から深く理解することを目的とする.より広く一般的に,染色体の異質倍数性や異数性に関する生物学の理解を進めることを目指す.
Saccharomyces eubayanus
南米のパタゴニアで見つかった酵母で,ゲノム配列などはかなりS. cerevisiaeに近いが,S. cerevisiaeとは異なり低温での増殖が良い酵母のグループに含まれる.S. eubayanusの低温耐性の増殖はそのミトコンドリアに由来することが示唆されている.
S. pastorianusのnon-cerevisiae染色体の由来についてはなかなか明確な答えが示されなかったが,S. eubayanusの発見,ゲノム配列の解析により,S. pastorianusがS. cerevisiaeとS. eubayanusのハイブリッドであることが示された.
異質倍数性
異なる複数の種由来の染色体のセットを持ち,さらにそれらが二倍以上に増えた倍数性を持つこと.植物のセイヨウアブラナやコムギで有名.